『デカルトからベイトソンへ』を読んで思ったこと

・近代は「リアリティ」と「錬金術」のパラダイム調和がとれていない

 →そもそもパラダイムは調和するものだろうか。アウフヘーベンに何の意味あるの?

 

・人は機械的である。もし機械が機械的役割を果たすと人はどうなる

 →このままじゃ虚無が襲いくる。これからは観念的相似も意識しろ

 

・経済悪化による精神的変化をTechが後押し つまりTechが後。Techは促進剤

 

・何を学ぶかという時代から何を信じるかという時代に変化していってるのではないか。というかそういう変化しかできない。

 →宗教とVRを選択する時代の到来 それでいいの?開き直られたら反論できない。

 

・社会制度の機能不全は本当に精神問題によるものか?

 →少し違うと思う。制度の不全も個人の精神崩壊もパラダイムの限界も全て同時に起こりうる。またはパラ→制度→個人→パラが繰り返し巻き起こる。いわゆる対象的分裂。

 

・静的な思索から動的な科学へ。これからは?

 →調整的な共存

 

・魔術や錬金術には不特定多数の集団の共通幻想があったのだろう。幸せそう。不特定多数、集団である意味ある?本当に幸せ?

 →これからは個人でも成り立ちそう。VRのおかげかな。幸せって概念から考え直そう

 

・専門的人間ってダメかな。多様性ないことになるの?別分野の専門家が集まる方が効率いんじゃないの?

 →

 

・世界観が変わったところで人も世界も変わらないんじゃない

 →精神病が本当に西洋文化の矛盾が生み出したものならある程度効果はありそう。この部分はもっと見当が必要だし、どのみちそれだけじゃ解決しないでしょもっと変数多いよ

 

 

 

 

 

 

『デカルトからベイトソンへ』

序章

「世界と一体化した知を取り戻そう」科学がこれまでとは全く違った役割を演じる、真に人間的な文化の誕生を願っている

ルネサンス期には宗教的パラダイムが終わり狂気が増加。束の間の回復の後、現在。近代科学的、デカルトパラダイムが終わろうとし精神のありかたが崩れつつある。

自己の疏外を感じ物で心の隙間を埋めたり、社会の役割をこなす自偽の自己を冷ややかに見つめたりする。これは自分を守るためのシステムであるが、結局自身を滅ぼしている。人々が自分の人生に何も起きないのではないかという不安を抱えているのも人が空虚である証拠である。

これらの現象の増加の原因は単に科学のせいではないが、科学的世界が人・病める現代社会・集団管理等と密接に結びついているのだ。

今、近代以前に戻れないしこのまま進んでも破滅してしまう。近代前後の分析と今後の枠組みの提唱をする。

 

 

第一章

17世紀。ガリレオニュートンによってプラトンの「理性論」、アリストテレスの「経験論」は道具化され、内なる<理>と外なる<経験>は融合された。これこそが「科学革命」の最大の発見だ。テクノロジーは哲学のレベルにまで高められ、「自然の拷問台としての実験」という思想を生んだ。

結果、静的な思索は動的な科学へと変容し、ものは対象から素材へと変容した。数量化とはすなわち「知る」こととなった。

デカルトの「原子論」が現実の生は弁証法的に進む。内なる矛盾が存在しながら生きているのだ。

 

 

第二章

中世のアリストテレス的世界観から17世紀的世界観へ。自然に参加する意識が参加しない意識へ変容した。

15、6世紀の商業革命が封建の経済社会にもたらした変化は以下のようだった。封建制度は13世紀ごろには限界を迎え、人々は経済の地理的基盤を広げようとする。結果、帝国主義的な拡張志向(とそれに付随する発明)が急速に進み、資本主義体制が確立。その利益で農工業に投資され発展し金銭的価値が唯一の価値となる。キリスト教の核心に金銭が入り込み、トマスアクィナス的統合は破綻、図(p62)のような円環が完成した。円環的で有り余るほど豊富にあると思われた時間も直線的で短く貴重なものと考えるようになった。

世界の本質は文化の構築物にすぎないだろうか。

 

 

第三章

我々は正しくて過去は誤り。世界は不変である。のような近代の思い込み構造を解き明かそう

主体/客体の区別をしようとしたのはソクラテスプラトンが最初だが、主格一体の知は科学革命誕生までは錬金術や魔術として生き残っていた。

16世紀においてヨーロッパの認識論的枠組みとは 「知る」ことと「相似」の認識が同値であるということだった。

では主格分離は16世紀からの堕落だろうか、それとも進化だろうか。

ユングがいうには錬金とは自己実現を目指す精神プロセスなのだ。近代科学の誕生によって捨て去られたものだ

実は今でも弁証法的理性は精神的下層に存在している。近代科学はそれを無視する。

 

次に錬金術が滅ぼされた原因を探る。理由は2つある。1つ目は錬金術的伝統が常に持っていた二面性を引き裂かれたから。霊的・聖的な要素は弱体化したカトリックの拠り所になり、強調された。物質操作的な要素は理の追求とテクノロジーの進展と現世的救済を軸とする流れに取り込まれた(実は科学革命の母体は魔術だ)。2つ目は経済体制の変化(特にギルドの崩壊)によるものだ。情報を秘密裏に伝授する師弟関係は攻撃の対象となる。情報は活版で社会に拡散することが一般的になったからだ。

そして、デカルトと仲の良いメルセンヌガッサンディによる錬金術への攻撃が西洋におけるアニミズムの弔鐘となったのだ。

事実と価値の別を明確に、知は実術に基づかなければならないものとされた。同時に新しいメカニズムが誕生したのである。

 

 

第四章

ニュートンは世間に隠しながら錬金術に没頭していた。これは彼の生まれと育ちによるものであり、自分自身を厳格に監視すらしていた。数字化というのは彼にとっての支えだった。だが何年にもわたる自己抑圧の結果、機械論的哲学者になってしまう。

1666年、多くの人が錬金術から機械論哲学へと乗り換えた。ニュートンは板挟みの状態だった。結局彼はヘルメス的知に没頭し、世俗に出すときは機械論的哲学の用語でそれを包み込んだ。

1670年後半から1680年代においてヘルメス的知は復活した。その中心人物だったジョン・トーランドはニュートンアニミズム的思想を見抜き、指摘した。

ニュートンは密かにトーランドに賛同していたが、本来対抗しなければならないことを知っていた。しかし彼は自己検閲の強い人間であり、自分に嘘をつくことは許されなかった。さらに、狂信派が共産主義を掲げて王権、のちに議会派とも戦ったという政治的事件も起こった。

結果ニュートンは社会に認められるため、体制に順応するために機械論的哲学者へと変貌した。

機械論哲学者と化した彼の姿は見るに耐えない、絶望に満ちた表情をしている

 

ヘルメス主義から機械論的哲学への移行に関して、その非科学性以外に留意すべきことが2つある。1つ目はブルジョワジーイデオロギーと自由競争資本主義が勝利したこと。ものの意識がなければ多大な利益を手にすることができるからである。2つ目はピューリタン的人生観の台頭によって「典型的人格」が作られてしまったことだ。

 

狂気の話をする。狂気を持つとは主格一体の思想を持つということ。レインの著書『引き裂かれた自己』をみてもこれは明白だ。言い換えると狂気とは論理によって世界を区切ることに対する批判であり、人間精神を押し潰している現実原則への批判なのである。狂気が増えることは我々が弁証法的理性を取り戻さなければいけないことの反映なのではないか。

一方、今あるような一連の怪しげな神秘的・オカルト的運動は危険である。そうした運動を促しているのは実態を失った知性の理念であり、ブレイクが正しく糾弾した古典主義であるからだ。テクノロジーの根底には環境に対する敵意だけでなく身体と無意識との抑圧がある。この二つを取り戻す、すなわち単純なアニミズムに堕することなく、科学的に説得力を持つ形で「参加する意識」を取り戻さない限り人間であることの意味は永久に失われてしまうだろう。

 

 

第五章

第五章では3つの証明からそういった道の模索をする。

1)デカルトパラダイムに参加する意識が染み込んでいることの証明

我々は霊の存在を否定し自身の霊の働きを否定する。しかしバーフィールドの言葉を借りれば、いかなる文化においても「現象世界は意識と無意識との絡まりから生じているのであり、進化とは、両者の変容の関係に他ならない」のだ。デカルトパラダイムは、否定しているはずの参加する意識が染み込んでいるのがわかるだろう。

 

こうしたパラドックスの大きさは1920年代に復活する。量子力学の出現である。量子力学の理論的土台は、西洋科学の認識から完全に離脱している。アインシュタインを含めた古典物理学の認識論は①あらゆる現実は物体と運動によって完全に記述可能である②我々の意識は参加しない という2つの大前提があった。しかし量子力学は違う。量子力学の最も哲学的な意味は「独立した観察者など存在しない」ということである。実験する自分が物に影響を与えることを認めることは自分も自然に参加していることを認めることなのだ。そういう意味で量子力学は神学に接近した。

我々が現実に参加しているという認識が科学的思考の中にはっきりと組み込まれたとき、科学的世界観は大きく変容する。

 

2)参加する意識を現代に組み込むことで新しい認識論が生まれることの証明

探求すべきは「主体」と「客体」の関係という新しいイデオロギーである。

3)世界についての認識・知覚・知識は常に「参加」が入り込んでいることを認めれば根底的相対主義を抜け出せることの証明

これを認めれば根底的相対主義という概念自体が消え去ってしまうのだ。

 

 

第六章

内在的な秩序とは人間の情感に関わっているもの、すなわちエロスでなければならない。

ライヒは理知は根底において情物に根差していること、本能の抑圧は事実的にも歪んだ世界観を生み出すことを説いた。

本能と理性の結びつきが前意識段階の幼児期における科学的事実であることは生理学的観点から明らかである。

また、幼児期の全体論的経験が大人による世界の認知や理解においても生き続けているのも明白である。無意識の知は本能的に身体知だからである。

 

 

第七章

デカルト的哲学は価値を無視し、オカルト的哲学は事実を無視する。二つの哲学は単なる裏返しに過ぎない。

新たな枠組みとしてベイトソンに注目する

イアトムル族の行動から着想を得たベイトソン的統合は東洋思想と似通っている。物質よりも形に重要性があるとし、連続性が肝であるとした。文化は諸個人や諸要素を標準化するものと定義づけた。人は対称的・相補的分裂形成を繰り返し、これによる緊張は役割の交換や逆転によって緩和すると考えた。

 

 

第八章

本章はベイトソンの認識論について記述している。(ベイトソン的哲学は性質上直線的には語れないことが前提)

ベイトソンの認識論は<精神>を諸現象に「帯びる」ものと考える。故に錬金術アリストテレス主義と同じ特徴を有しているのだ

ただし、決定的に異なるのは「神」がいないという点である

 

 

第九章

ベイトソンの認識論の欠点は以下のとおりである(ただしその性質上政治的批判しか不可能である)

・意識がそれ自体で歴史を作ることはあり得ないこと(それだけでベーコンの世界からは抜け出せないこと)

・元のコンテクストが階級社会・上流社会からくるものであること

・意味のレベルを強化しすぎると抑圧/非抑圧の関係を逆に強化してしまうこと

・弟子が師をもう目的に崇拝する結果につながってしまうこと(地方分権によって民族的かつ生物的であることが解決の糸口)
 

『茶の本』


本文に入る前、岡倉天心の人となりがその弟によって書かれている。

そこにはヨーロッパを点々とした天心の、東洋思想が受け入れられないことに対する怒り、日本人すら東洋思想を放り投げ西洋思想を崇拝することへの苦悩が読み取れる。

 


第一章 人情の碗
茶の湯とは、日常生活の俗事の中にある美しきものを崇拝するものである。美を見出さんと美を隠しほのめかす行為である。

この考えを西洋人はどう捉えたのだろうか

遣唐使岩倉使節団は外国文化を学ぶためにあったが、ザビエルは外国に自文化を教えるために来日した。外国人には日本について学ぶ気すらなかったのだ。

人の心の茶碗は狭いのである。

しかし茶の湯を一部の人間は受け入れた。彼らは近代における物質主義によって心と物が分離した結果、居場所を失い、疲弊しきった人々であった。

物質は我々を奴隷にしたのである。

驚くべきことに、シェイクスピアもその一人であった。

そして現在、西洋人は独自のカップを使い、茶を楽しんでいる。茶そのものの魅力は全世界共通なのだろうと思う。

 


第二章 茶の諸流
茶の起源は中国にある。この章では唐・宋・明における茶の流派がそれぞれの時代を反映していることを踏まえた上で、当時の時代精神の変遷を書き記している

唐時代の茶人・陸羽の著書『茶経』によると、茶は紀元前2700頃にはすでに飲まれていたとされる。当時の茶は樹木からとった茶葉を湯で煮るだけの原始的なものであった。

唐は汎神論的象徴主義の時代であった。陸羽は茶の湯に万有を支配しているものと同一の調和と秩序を認め、これを組織立てた。これこそが『茶経』の執筆である。

宋では先祖の表象を写実的に表そうとされた。このとき、結果よりも過程が重んじられた。これによって茶は遊びから生きる術へと変遷した。

十三世紀。度重なる内紛により宋の文化は崩壊し、風俗習慣が変じた。唐・宋時代の茶文化を思い出せなくなり独自のものも生まれた。これが明の茶の湯である。

しかしこのとき、人生の意義に対する強い興味・信念を失い、茶はただの美味な飲料となった。実は西洋に茶の湯が伝わったのはこのときで、それ故西洋人は茶法を知らないのである。

 では日本はどうだろう。日本はそれぞれ遣唐使栄西足利義政の奨励により、3世代の茶の湯が確立されていた。そして日本は十三世紀、蒙古襲来に当たって撃退したため国内で宋の文化運動を続けられたのである。

結果、中国に優って日本だけが茶を生の術に関する宗教であるとし、茶の理想の極点にまで達したのである。

 


第三章 道経と禅経 
茶の湯を知るためには、その起源である道経・禅経を理解しなければなれない。

周朝は法律慣習が重んじられ個人思想を持たない時代であった。崩壊後、中華大陸は無数の大国となり、自由に思想を持ち始めた。老子荘子の登場である。

老子荘子は法を非難した。正邪善悪は相対的、すなわち無常なものだと考えていたからである。一方で保守的な一面もあり、茶の文化は続いていった。

道経は国の至る所に影響したとされるが、美学の領域への貢献が最も大きいものだった。

道経は処世術とも呼ばれ、自身を取り扱う物であった。老子は「物の真に肝心なところはただ虚にのみ存する」と言っている。
茶室の本質は屋根と壁に囲われた空虚であるから、道経との共通する部分が見えるだろう

禅経も道経と同じく相対を崇拝する個性主義であった。道教儒教との対立であったのに対し、禅経は正統の仏教と対立していた。

事物の大相対性から見れば大と小の区別はない

人生の些事の中に偉大を見出すこの考えは量子宇宙論をはじめとする様々なことに適用できる。

 


第四章 茶室
茶室は利休が生みの親である。西洋的観点からみると茶室は質素に感じるかもしれないが、全て深遠な芸術的思索の結果である。

茶室の簡素清浄は禅院の競いが起源である。禅院とは修業者が会合して討論し黙想する場のことだ。

ゆえに自己照明に通ずる通路としての小道をつくり、人に謙譲を教え込むためにかがませ、差し込む日光は和らぎ、ホコリひとつない部屋は静まりきっているのである。

話は東西の建築様式の比較にまで発展する

西洋建築は移動不可でありいつの時代も同じような見た目である。だから個性などないし均整な建築物が増える。レンガの建物はその一例だろう。
一方東洋では、伝統的に取り壊しと新築が繰り返されていた。移動可能といえるだろう。そういうわけで斬新な建築が可能になったし時代性も反映される。

天心は日本の状況を悲観ばかりしているわけではない。それは新しい時代性が作られていくことに対する期待なのだと思う。「新しい文化の創造があるならば、それほど悲観することもない」こう述べている。

 

第五章 芸術鑑賞
この章の冒頭、「琴ならし」の話が出てくる。誰も奏することの事のできない琴を伯牙は見事に弾いてみせるのだ。このときの心情を伯牙は「自分が琴か、琴が自分かわからない」状態であったと述べた。

天心はここに芸術鑑賞の極意を見出した。ただし注意すべきなのは作品が伯牙であって琴は自分の内なるところに存するのである。

故に個性も慣例も鑑賞力を妨げるし、修養によってしか美術鑑賞力は発展し得ないのである。

次に当時とその前との収集の違いを述べている。

当時の収集は表面的な熱狂を動機とし、流行や価格が価値尺度となっている。
その前の日本では、自分だけがおもしろいと思うものを収集することを理想とした。美しさが価値基準であり、高雅なものが尊ばれた。

現代でも当時の収集の傾向が続いているといえる。知らずのうちに他人から理解されうるものだけを集めようとしていないだろうか。

 


第六章 花
人と花が昔から現在に至るまで密接に関わり合ってきたのは言うまでもない。しかし、人々の花の扱いには思うところがあるようだ。

天心は、花が未だに禽獣の域を脱しないことに憤りを感じている。

花を蹂躙し、自然を破壊し、花の悲痛な叫びなど聞こうともせず花を美しさを褒め称える。花を無駄に生き長らせる医者のような存在。生花はそんな記述をされていた。

しかしこれには疑問が生じる。茶室に置かれている花はまさに自然から切り取って組み直したものではないか。

この答えは花の由来にある。

花というのは茶文化の一部であった。茶のために花を飾った。
このとき人々は花に対して最大限の敬意を払ったのである。植木鉢はそのいい例であるが、昔は御殿を植木鉢にしたというのだから驚きである。

あるとき、花は独立した。花のための花となったのである。

天心は、前者に対し人間の勝手さを指摘しながらも花への配慮があることで一定の評価をしているようだ。そして非難しているのは後者の方であった。

 


ところで、生花よりも花を無碍にする文化がないだろうか。

西洋の花に対する認識とそれに付随する文化は、日々大量の花々を摘み取り廃棄している。

西洋の文化をそのまま受け入れることに疑問を呈するのもこれらの理由からであろう。

 


第七章 茶の宗匠
この章では茶の湯が建築、陶器、絵画、上流社会の慣例から家庭の些事にまで大きく影響してきたことが改めて示されている。

その根拠づけとして、利休の最期を紹介している。

誰も信用できない時代であった。利休をよく思わない人物は、利休が秀吉の暗殺を試みているという噂を流す。
かつて利休と親しい間柄であった秀吉も、ちょうど疎遠だった時期のせいもあり噂は無視できなかっった。さりとて旧友である。秀吉は利休に自害を命令した。

利休は自害する日、客人を招き最期の茶会を開くのである。
利休の動作ひとつひとつに茶の精神の修養が見て取れる。
茶会を終えると、利休は茶室から汚れを取るために自身の使っていた道具を割り、生涯を終えるのであった。

 


おわりに 感想
個人的には疑問を持つ部分も多くあった。アメリカやヨーロッパ諸国の文化は一括りにはできないし、生花を批判するからにはもう少し深く取り扱って欲しかったようにも思える。東洋の文化、日本の文化を手放しで褒め称えることもできない。

しかしこの本から東洋思想の重要さは感じ取れた。外国人向けに書かれたのは、天心が西洋と東洋の文化統合を目指していたからだろう。

本文を書くにわたって主張に対する根拠等を一部省略しているため、特に過激に感じるかもしれない。実際かなり偏った内容もあるのだが納得できる理由づけもされているので是非読んでもらいたい。